明治の初頭、入鹿池の堤防が切れて、水が名古屋の近くまで流れて大勢の人がなくなった大災害がありました。これは、入鹿切れと呼ばれるその大災害にまつわるお話です。

入鹿池は、堤防を造って水を溜めた人造湖です。入鹿池を造ったのは江戸時代の初め頃、その時堤防が切れるのを防ぐため、左甚五郎が彫った馬の彫物を池の主として池に入れたという言い伝えがありました。

時は移って時代は明治に。その年は、四月から雨が降り続き池の水は増える一方でした。「こんなに降り続いては堤防は大丈夫だろうか。」近くに住む人たちが、心配して見回りをしていると、大きな馬が水を飲んでいました。
「馬が水をひと飲みすると池の水が二メートル位下がっていくぞ」
「ありがたい。あれが話に聞いた池の主であろう」
人々は驚ろきながらも大層喜びました。
しかし、雨は容赦なく降り続き、池の水もどんどん増えていきました。ある日、ものすごい大きな音がしたので、みんなが外に出てみると、大きな腹をした二頭の馬が天に昇っていくのが見えました。そのとたん、入鹿池の堤防が切れてしまったのです。

 
 
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