明治45年
(1912年) |
1月 |
名古屋電灯㈱(現関西電力㈱)が木曽川発電所設置。 |
木曽川筋初のダム式発電所。
現八百津発電所、出力9,600KW |
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1924年のものもある。 |
大正6年
(1917年) |
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知多郡冨貴村(現武豊町)の郡農会会長・森田萬右衛門が青年会の精神修養の会で、碧海郡に明治用水があるように知多郡にも木曽川から用水を導こうと講演。17歳の久野庄太郎に強い感銘を与える。 |
森田萬右衛門は元安城農林学校長・山崎延吉の指導を受け、農村自治の念に厚く、村内のため池を整備し農村振興に努めた。 |
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大正13年
(1924年) |
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大同電力㈱(現関西電力㈱)が大井発電所設置 |
木曽川筋初のダム式発電所。
その後:落合(大正15)、笠置(昭和11)、寝覚(昭和13)、今渡(昭和14)、常磐(昭和16)、兼山(昭和18)、三浦(昭和20)、上松(昭和24)、滝越(昭和26)、御岳(昭和29)、丸山(昭和29)、山口(昭和32)、三尾(昭和38)。 |
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1912年のものもある。 |
昭和初期 |
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愛知県議会副議長・奥村鉄三、知事・篠原英太郎、愛知県木曽川疎水計画立案。 |
奥村鉄三は篠原英太郎と図り、木曽川上流の薮原(長野県木曽郡木祖村)にダムを構築し、犬山から既設の木津用水を利用して導水し、東尾張の台地をかんがいしようとする計画(愛知県木曽川疎水計画)を立案。 |
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昭和6年
(1931年) |
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愛知県議会議長・神戸真、木曽川疎水計画を作成するも、ダムで水没する住民、水利権を主張する下流の住民の反対で計画頓挫。
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昭和10年
(1935年) |
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久野庄太郎、知多郡農会の農村研究員、米穀改良委員、拓殖研究員として農村問題に取り組み、農業経営の改善、稲作の改良などに努力。 |
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2月 |
久野庄太郎、父・彦松と親子優良農家として愛知県知事・篠原英太郎より表彰受ける。 |
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昭和11年
(1936年) |
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久野庄太郎、愛知県知多郡八幡村販売購買組合設立。また有栖川宮記念農業章受章。 |
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昭和14年
(1939年) |
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中部地方大旱魃、特に知多半島災害激甚。 |
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昭和17年
(1942年) |
5月 |
今渡えん提(昭和14年完成)操作規定の決定。
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第2条
本発電所の使用水量調整については、左記各号の制限に従い下流木曽川筋の河川流量に及ぼす変動をなからしむるため毎日調整池に到達するべき全水量を均等に放流するものとする。
1 調整池に到達すべき推量は、木曽川筋「握」益田川筋「背戸」ならびに馬瀬川筋東村(祖師野)各測水所における流量を基準として推定算出し笠置・川辺両発電所より放流すべき水量別表第1号表によるものとする。
ただし、全段により算定せる今渡えん堤における自然流量が毎秒100m3(3,594立方尺)を超過する場合は超過分を限度として上流発電所において貯留すべきことあるべきをもって当発電所はこの場合調整池に到達する水量を均等に放流するものとする。
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昭和18年
(1943年) |
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久野庄太郎、翼賛会愛知理事、同中央議員として勤労顕功章受章。 |
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昭和19年
(1944年) |
夏 |
中部地方大旱魃、特に知多半島災害激甚。 |
大旱魃のため、尾張東部から知多半島にかけては作付け不能や青立ちの水田が多く、その被害は甚大。
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昭和19年
(1944年) |
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浜島辰雄、導水路構想発案。 |
愛知郡豊明村大脇の農家の五男として生まれた浜島辰雄は、名古屋陸軍幼年学校で生物学教官であったが、大干魃を目の当たりにし、満鉄調査部に在籍中に提出したアムール川(黒龍江)から第一松花江への導水計画を思い出し、2万5千分の1の地形図に木曽川から知多半島への導水路計画を作成した(終戦時に焼却)。路線位置の実地踏査図が残る。 |
461 |
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昭和21年
(1946年) |
5月5日 |
知多農村同志会発足。 |
久野庄太郎、知多農村同志会(会員、農村自営者を中心に約1,000名)を設立、第1回会長に推挙。 |
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10月22日 |
昭和天皇が愛知県に行幸。久野庄太郎、愛知青年師範学校で御前講演実施、激励を受ける。
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11月 |
農林省、農地部、6農地事務局を新設。
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昭和22年
(1947年) |
夏 |
中部地方大旱魃、特に知多半島災害激甚。久野庄太郎、木曽川からの疏水を決心する。 |
旱魃甚だしく、愛知県全域にわたる作付不能面積は約9,400haに及び、その比率は全水田面積の10%に達した。特に尾張東部や知多半島では、秋の収穫がほとんど皆無に等しい地域多数。 |
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昭和23年
(1948年) |
5月5日 |
久野庄太郎、つつじの会(安城市山崎延吉邸)にて用水建設の決意表明。 |
久野庄太郎、知多半島への用水建設に生涯を懸けることを表明。山崎延吉は技術的可能性について専門家の意見を聞くことを助言。木曽川からの用水運動を相談。 |
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5月6日 |
木曽川からの導水の技術的可能性の確認。 |
技術的可能性の確認のため、久野庄太郎、緋田工は、農林省京都農地事務局名古屋建設部の遠藤虎松を訪ね、愛知県農地部長・宮下一郎を紹介され、県庁で宮下一郎、耕地課調査係長・三好富雄、山田千里から「技術的には可能だが巨額の費用を要す」という回答を得る。 |
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5月 |
久野庄太郎、用水運動の具体的進め方について県農業会知多支部事務局長・田村金平(山崎延吉の教え子)、同次長・明壁京一に相談。
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・市町村長を中心とすること
・知多の農村同志会が後押しとなって政治家を動かすこと
・半田市長・森信蔵と武豊町長・中川益平(知多町村会長、山崎延吉の教え子)に話すこと
・現地調査を行うこと(明壁京一同伴)
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5月21−22日 |
久野庄太郎と明壁京一が現地調査をおこない、2人で「用水構想図」作成。 |
木曽川の取水地点を現地調査し、日本発送電力㈱今渡発電所長・高橋正一から、取水地点としては上流の兼山発電所(標高94.5m)位が良いと教示される。この経験を元に久野と明壁は「用水構想図」を作成。
・木曽川の水には水利権があり、農業、水道、発電に使用されていること
・下流用水の許可なしに上流で取水できないこと
・発電すれば1tの水でアンモニアが何kgも作れること
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『愛知用水史』p.130 |
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5月24日 |
知多郡同志10数名集い用水建設の決意を聞き、賛同し、今後の運動方針について語り合う。
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5月29日 |
前年の中部地方大旱魃を受けて、阿久比の山本孝平ら、菅原用水着工。
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「愛知用水新聞」No.18 |
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6月ごろ |
久野庄太郎、緋田工に同志参加を依頼。
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6月25日 |
久野庄太郎、緋田工ら知多半島有志による愛知用水実現の運動開始(知多郡八幡町朝倉の会)。
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朝倉(現・知多市)の魚屋旭屋2階で農村同志会の下打ち合わせをおこなう。
久野庄太郎、元特別高等警察・緋田工、愛知県教育農業協同組合連知多支部次長・田村京平、同支部技師・明壁京一、愛知県耕地課係長・三好富雄5人が会合し、以下の事項を決定。
①田植え終了後、農村同志会の会合を開き、会員に訴える。
②半田市長・森信蔵に運動の中心となってもらうことの了解を取る。依頼する。
③農業協同組合(組合長・渡辺鎌太郎)に働きかける。
④市町村会(会長・中川益平)に運動の中心をもっていく。
⑤事業の結果、県、国会議員に働きかける。
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基本方針
①運動はあくまで民衆の啓蒙に重点を置き、諸官庁への陳情、政党、政治家への運動よりも一般民衆への趣旨の普及徹底に主眼をおく。
②我々運動者は、私利私欲を離れ、最後まで清潔な運動をする。従って万が一実現しても我々はこれに何ものも求めない。
③運動費は篤志家の浄財にたよる他は、我々自身で賄い、運動資金を稼ぐための適当な事業を起こし、その利益を運動費に充てる。 |
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7月6日 |
木曽川導水計画推進に関する初会合(武豊町食鶏処理場の会)。 |
久野庄太郎(八幡)、山口治兵(大府)、神谷甚九郎(横須賀)、谷川忠三(西浦)、稲葉忠雄(常滑)、坂口善夫(武豊)、大岩源平(内海)、冨谷茂吉(河和)、榊原文英(河和)、橋本栄一(河和)、本田佐久治(上野)、小島正雄(上野)、石田季之(上野)、山本孝平(阿久比)、水野源弌(東浦)、平林利(東浦)、渡辺万吉(野間)、加古与市(大府)、石黒新三(内海)、山下秀夫(豊浜)等。
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7月7日 |
中日新聞(尾張版)に「木曽の水を知多に引水」の記事掲載。 |
「木曽の水を知多に引水」中日新聞(尾張版)
尾張平野を縦断延々百キロの大運河 干害に悩む「半島の夢」
干害に悩む知多半島に木曽川の水を引こうと、懸案の運河設置問題が郡内有志の間に、真剣に取り上げられている。郡農業会田村局長、八幡町篤農家久野庄太郎、知多地方事務所青木農地課長らが集まって、半島の発展には恒久的な干害対策と工業用水の設備が第一だと、近く開発期成同盟を結成、同志に呼びかけることになった。
構想は岐阜県の木曽川上流に水源を求め、丹羽、東西春日井、西加茂、愛知郡から鳴海、大府町を経て、半島(用水路約百キロ)を貫流させようとするもので、これによって三千町歩が浮き上がり、約一万町歩の水田をうるおし、染色、織布などに影響するところが大きい。
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7月15日 |
安積得也ら久野庄太郎宅訪問し、愛知用水計画の説明を聴取。
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安積 得也(岡山県知事、元愛知県経済部長、元東海北陸副総監)
森 勇 (県会議員、元副知事):市町村長に話せ
深津 玉一郎(元代議士):報道人を活用せよ
田中 いと (県会議員):婦人層に浸透を図れ
古川 ゆきこ(郡婦人会長):婦人層に浸透を図れ
宮下一郎(県農地部長)、加藤太郎(県耕地課長)及び知多農村同志会幹部が参集し、愛知用水計画の説明を聴取。
用水運動の基本方針
①運動はあくまで民衆の啓蒙を重点とし、関係の諸官庁や政党の政治家への陳情や運動よりも、一般民衆への趣旨の普及徹底を図ること。
②運動者自身は、私利私欲をはなれ、清潔な運動をすること。
③そのため自身の運動費は自弁を建前として、その他はなるべく篤志家の喜捨による浄財によること。
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7月17日 |
用水運動の基本構想の新聞記者合同発表(河和町角屋)。
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7月18日 |
用水運動の基本構想の新聞報道(中日、朝日、毎日)。中部日本新聞尾張版に「発展する知多の夢。その名も愛知用水」記事掲載。山本孝平、ただちに久野庄太郎を訪ねる。
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7月31日 |
用水計画を「愛知用水」と命名。
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久野が隣家の早川丈太郎に「愛知用水」はどうかと相談し、同氏が易学等の大家で娘の早川政子氏に命名判断してもらったところ、「愛知用水は名称、字画良し。必ず出来る。」とのことであり、「愛知用水」と命名。 |
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8月1日 |
7月18日新聞記事を見て安城農林高等学校教員・浜島辰雄が久野庄太郎を訪ねる。 |
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8月6日 |
久野庄太郎と浜島辰雄を訪ね、翌日より水路計画の現地調査開始(17日間)。「愛知用水実地踏査要図」作成。 |
・神宮前駅→犬山→羽黒→尾張富士→入鹿池→鳥坂峠→野口→大山→坂下→高蔵寺(サイホン)→森林公園泊
・森林公園→新居→幡山→長久手→日進五色園→米野木→海老池→和合→千子池(これから標高が低くなる。約20mの落差)→白土→豊明→山新田→勅使池→諸ノ木→濁池→豊明の三浦青一氏宅泊(濱島氏の従兄)(豊明村で、農林省開拓局長伊藤佐の祖父が旧盆帰省時に合わせることを約束)
・三浦青一氏→間米→競馬場(野球場)→有松桶狭間サイホン→文久山→大高サイホン→大府農協
・大高サイホン→木ノ山、長草、飛行場→吉田サイホン→加木屋→八幡サイホン→原ノ高根(浜島が久野に用水の命名依頼)
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8月7日 |
「用水開さく期成会」発会式(武豊町堀田稲荷神社)。(東海毎日新聞)
農村同志会・愛知用水建設祈願祭を催す。 |
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8月18日 |
久野と浜島は帰省中の農林省開拓局長・伊藤佐(豊明村出身)に面会し、愛知用水計画を説明(豊明村農協)。
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8月22日 |
山崎延吉、農村同志会が今渡・兼山発電所を見学(八百津大仙寺の会)。
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[五十年の歩みP21写真有] |
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9月2日 |
愛知用水期成会準備会。
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9月15日 |
浜島辰雄、愛知用水概要図(横1.6m×縦3.6m、2万5千分の1)完成。 |
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457 |
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10月1日 |
知多半島1市25町村すべてが参加する愛知用水開発期成会発足(武豊町堀田稲荷神社) |
会長は半田市長・森信蔵。のちに愛知用水期成会となる。予算30万円。
このとき「愛知用水」が公式名称になる。 |
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10月2日のものもある。 |
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11月1日 |
愛知用水期成促進大会開催。翌日、県へ陳情。
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知多農村同志会主催(武豊町堀田稲荷神社)。 |
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12月22日−24日 |
12月22日夜行で名古屋発。23−24日、農村同志会、期成会による第1回東京陳情。愛知用水事業を国営農業水利事業として農林省、その他国の機関に要請(吉田首相、農林省開拓局、建設省、経済安定本部)。 |
【農村同志会】久野庄太郎(八幡)、緋田工(顧問)、山口治兵(大府)、加古与市(大府)、山本孝平(阿久比)、岡戸嘉一(阿久比)、石黒新三(内海)、三浦青一(豊明)、石田季之(上野)、山盛大和(上野)、小島正雄(上野)、明壁京一(小鈴谷)、牛田与吉(豊浜)、水野源弌(東浦)、浜島辰雄(大府)
【農林省】開拓局長:伊藤佐(豊明村出身)、建設部長:溝口三郎、計画部長:和田榮太郎、資源課長:伊藤茂松、資源課専門官:松田俊正、資源課地質官:堀田博士、専門官:佐々木四郎、技術課長:清野保 農林省京都農地局・千葉進は陳情が農民ばかりであることに「成功するかもしれん」と感じた。 |
[五十年の歩みP32写真有] |
これまで12月22日とされてきたが、岸信介の巣鴨からの釈放日(12月24日)から考えるとこの日付となる。吉田茂首相への陳情まで、日付を2日ずらした。 |
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12月25日 |
農村同志会員、岸信介・佐藤栄作に陳情
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【農村同志会】久野庄太郎(八幡)、緋田工(顧問)、浜島辰雄(大府)
緋田は戦前、岸の懐刀として企画院創設に尽力した人で、吉祥寺の佐藤栄作官房長官宅に岸信介氏を訪問した際、官房長官が翌日の首相陳情を斡旋。
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12月26日 |
農村同志会員、吉田茂首相に陳情。
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吉田首相「これは面白い計画ではないか。TVAに範をとり農業用水の確保ばかりでなく、総合開発を試みようとする構想はいいアイディアだ。食糧増産、失業対策、いいではないか。」 |
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10−12月 |
愛知郡、東春日井郡、丹羽郡、名古屋市に働きかけ、巡回説明会。
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昭和24年
(1949年) |
1月17日 |
愛知県議会議事堂で計画説明。 |
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2月 |
京都農地事務局が愛知用水計画概要を作成。 |
概算総事業費:55億円
(1949年当初の国の一般公共事業費 379億円)
(貯水池:30億円、幹線水路:19億円、事務費:6億円)
受 益 面 積:10,778ha
(開田:3,219、干拓:180、補給田:7,379)
最大取水量 :25m3/s |
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2月26日 |
農林省開拓局長伊藤佐が計画地区(知多地区)視察。 |
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3月7日 |
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知多農村同志会による山崎延吉米寿祝賀会(堀田稲荷神社)。 |
1458 |
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3月17−26日 |
第2回愛知用水開発東京陳情 |
【陳情団員】期成会長・森信蔵、常務員・瀧田次郎、常務員・高津元治、幹事・久野庄太郎、指導員・緋田工
【陳情及び訪問先】3/18(森・瀧田・高津・久野・緋田)農林省開拓局(伊藤局長、溝口設計部長、伊藤設計課長、小川用排水課長、松田博士、雨森建設局長等)、経済安定本部(青木安本長官)、動力局長・増岡尚士、電力課長・吉岡俊夫、安本建設局産業施設課長・池尾。3/19(瀧田・高津・久野・緋田)経済安定本部経済復興計画委員長・稲葉秀三、建設省建設局長・高野典作、建設省会計課長・植田、建設省官房長・渋江操一、建設省事務次官・岩沢。3/21(久野・緋田)岸信介、自由党幹事長・広川。3/22(久野・緋田)自由党政務調査会長・佐藤栄作、知多郡選出代議士・久野忠治、自由党役員室(幹事長・広川、政務調査会長・佐藤栄作、安本長官・青木、前農相・須藤、建設省相・益谷、副事長・渡辺)、民主党政務調査会長・小坂善太郎他。3/23(久野・緋田)犬養健、農林省開拓局、農政記者クラブ、京大・大槻博士、中日東京総局長・長與良ヱ、農政家代議士・坂田栄一、前中配社長・海東要三郎。3/24(久野・緋田)経済安定本部参与官・稲葉、安本資源委員会事務局長工学博士・安藝皓一、事務局次長・大枝益賢、総理庁技官・本田武夫、黒沢俊一、大田更一、食生活安定協会社長・岩上。 |
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『知多市誌』資料編四(1984年、知多市役所) |
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3/25(久野・緋田)建設大臣秘書官・小林、河川局長・目黒清雄、中部建設局工務部長・橘田徳治、安本建設局公共事業課長・大平正芳、利水課(課長・矢野正勝、課員・伊藤、課員・村)、建設省総務局長官・中田政美、企画課主事・間瀬徳太郎、建設政務次官衆議院議員・内海安吉、経済学者・山崎請純。 |
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3月18日 |
東春日井郡愛知用水期成会発足(会長・加藤盡)。 |
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3月24日 |
愛知県議会が愛知県三大河川総合開発委員会設定に関する決議。 |
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4月1日 |
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浜島辰雄、半田高等学校農業課程へ転勤。 |
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4月1日 |
愛知用水完成後の農業実験拠点として知北農場(大府町)、知南農場(小鈴谷村上野間)を設置。 |
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4月 |
愛知県が大規模農業水利事業調査(1,000万円)を開始。
調査対象は、愛知用水、豊川用水、矢作用水地域。
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6月30日 |
農林省開拓局長伊藤佐退任、県下用水事情視察。 |
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7月25日 |
農林省農地局の計画部長ら、第1回現地調査(7月25日~8月2日)。 |
農林省農地局の計画部長・和田榮太郎、技術課長・清野保、資源課長・伊藤茂松等によって水源と平野部の現地調査。 |
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7月15日、30日のものもある。 |
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8月22日 |
愛知用水開発期成同盟会設立発起人会(半田市光照院)。
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経済安定本部長官・青木孝義臨席。 |
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9月15日 |
愛知用水開発期成同盟会結成総会(半田市半田小学校)同盟会長に半田市長・森信蔵。愛知用水開発期成同盟会規約を施行。 |
のちの愛知用水期成同盟会。2市3郡出席、来賓:経済安定本部資源調査局事務局長・安藝皓一、建設省監理局企画課長・小沢久太郎、農林省農地局資源課長・伊藤茂松等。 |
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10月12日 |
石黒忠篤、山崎延吉、計画地域視察(~10月13日)。 |
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12月20日 |
木曽川総合開発パンフレット第1巻『愛知用水の趣旨と理想』(知多郡農村同志会)刊行。 |
巻頭挨拶:愛知用水期成同盟会会長・森信蔵。 |
285 308 |
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昭和25年
(1950年) |
1月19日 |
愛知用水期成同盟会長・森信蔵、全国市長代表として渡米決定に伴い、米国で実現協力を求める準備を開始。 |
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3月13日 |
愛知用水期成同盟会、第1回陳情。 |
「木曽川総合開発の一貫としての愛知用水計画陳情書」
知事、県議会議長、中部地建、安定本部中部経済局、名古屋市、農水省京都農地事務局建設部。 |
306 307
323 338
456 488 |
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5月5日 |
愛知用水期成同盟会会長・森信蔵渡米(5−8月)。『愛知用水の趣旨と理想』を国際復興開発銀行(世銀)に提出。 |
愛知用水期成同盟会会長・森信蔵(半田市長)が全国市長会代表として渡米の際、「愛知用水の趣旨と理想」を翻訳して世銀に提出し要旨を説明。建設費の借款(融資)を要請。世銀総裁に対し愛知用水に対する援助を要請〔英文パンフレット Aichi Irrigation System(Its prospects & Ideal)〕。 |
285 308 |
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7月12−16日 |
高松宮が愛知用水の計画地域視察。 |
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詳細は山崎延吉日記参照 |
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11月29日 |
愛知用水期成同盟会は木曽川総合開発(愛知用水を含む)請願書を県議会へ提出。愛知県議会は「木曽川総合開発事業の調査促進」「愛知用水事業施行」について建議案を満場一致で承認。 |
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11月30日 |
愛知県議会農地委員会。「木曽川総合開発事業調査促進」「愛知用水事業施行」について、本会議へ建議。
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12月1日 |
愛知県議会「木曽川総合開発事業調査促進」「愛知用水事業施行」について両建議案を満場一致で議決。
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12月3日 |
愛知県議会議長・太田、「木曽川総合開発事業調査促進」「愛知用水事業施行」の意見書を国会提出。
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12月28日 |
農村同志会献餅、上京陳情。以後例年の行事となる。 |
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昭和26年
(1951年) |
この年 |
ダムで水没する王滝村と三岳村がダム建設反対同盟を組織し、反対運動展開。 |
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1月8日 |
愛知県は愛知用水幹線測量のため、予定路線の実地踏査開始。 |
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2月1日 |
愛知用水土地改良区設立予備審査請求 |
(各市町村の広告済書面・維持管計画書・計画概要図・各添付) |
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3月17日 |
愛知用水土地改良区設立認可申請 |
(定款(ガリ版)・事業区域図(トレース用紙鉛筆書 各添付) |
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4月3日 |
知多農村同志会結成届。会長、山口治兵。 |
会の目的は政治運動並びに啓蒙。 |
341
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6月20日 |
愛知用水のPR用ちらし (小学生向け)作成 |
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319 |
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8月2日 |
木曽川関係大規模農業水利事業期成同盟会、結成準備会。
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9月30日 |
「愛知用水土地改良区設立」および「国営愛知用水土地改良事業申請」のための同意書作成、完了。 |
同意率86.8% |
351 353
378 |
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10月7日 |
愛知県木曽川関係農業水利事業期成同盟会、発会式。 |
会長・桑原幹根。 |
37 38
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10月10日 |
農林省木曽川水系総合農業水利調査事務所を名古屋に開設。 |
農林省木曽川水系総合農業水利調査事務所開設(調査事務所第1号、初代所長:千葉進。調査対象は、愛知用水、木津用水、宮田用水、佐屋川用水及び羽島用水)。
土地改良計画費予算の推移(単位:万円、%)
昭和25年度まで 26年度 27年度
土地改良調査費(国全体) 10,100 12,100 15,100
同上(愛知用水) 100 300 1,700
同上割合 1.0 2.3 11.3
28年度 29年度 30年度 合 計
(国全体) 15,100 13,700 18,600 84,700
(愛知用水) 2,100 3,500 5,400 13,100
同上割合 13.9 25.5 29.0 15.5
食糧増産対策費の推移(単位:百万円)
昭和26年度 27年度 28年度 29年度
土地改良 6,615 9,990 13,066 12,659
開 拓 4,640 6,572 7,977 7,039
耕地整備 991 2,059 7,623 2,325
開拓実施 1,793 2,481 2,717 2,508
計 14,041 21,103 26,348 24,534 |
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11月24日 |
愛知用水土地改良区設立申請者会議(名古屋市熱田神宮千秋樓)。 |
愛知用水土地改良区設立準備委員会に事務一切を委任。委員長・伊藤佐は運営費200万円を借り入れることを決定。 |
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12月1日 |
愛知用水土地改良区設立予備審査申請書、提出(久野庄太郎ほか15名)。愛知用水大規模農業水利改良事業国営施行申請書、提出(久野庄太郎ほか15名)。
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12月4日 |
国土総合開発法(昭和25年法律第205号)に基づき「木曽特定地域」指定。
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12月7日 |
愛知用水土地改良区設立準備委員会、設置。 |
委員長・伊藤佐。 |
328 |
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12月22日 |
国営愛知用水土地改良事業および愛知用水土地改良区設立の予備審査開始。 |
委員長・倉田一郎等5名、12月13日付農地部長委嘱。 |
214 378
500 |
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昭和27年
(1952年) |
この年 |
愛知県耕地課は1952年度から愛知用水調査費を計上。 |
愛知県耕地課は1952年度から愛知用水調査費を計上し、調査を開始。
愛知県調査予算の推移(単位:千円)
1952年度 1953年度 1954年度 1955年度
大規模調査費 10,300 11,117 12,002 18,732
愛知用水調査費 5,000 7,000 7,000 9,000
合計
大規模調査費 52,151
愛知用水調査費 28,000 |
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2月1日 |
「愛知用水新聞」創刊号発刊。 |
愛知用水期成同盟会・愛知用水土地改良区機関誌。編集緋田工、発行愛知用水期成同盟会(半田市役所内)会長・森信蔵、愛知用水土地改良区準備委員会委員長・伊藤佐。 |
212 411
414 459
496 |
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3月17日 |
愛知用水土地改良区設立認可申請書、提出。 |
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97 504
538 |
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4月6日 |
国際食糧農業機構連合FAOドット博士来日、愛知用水等視察。 |
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5月8日 |
愛知用水土地改良区設立認可「指令耕第1051号」、認可番号「愛知第68号」、事務局開設。 |
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302 503
505 506 |
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6月5日 |
愛知用水土地改良区総代選挙 |
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6月21日 |
愛知用水事業に関して土地改良新聞社主催の座談会。 |
桑原 幹根 愛知県知事
森 信蔵 愛知用水期成同盟会長
和田 榮太郎 農林省農地局計画部長
清野 保 農林省農地局計画部技術課長
千葉 進 農林省木曽川水系総合農業水利調査事務所長
雨森 常夫 農林省京都農地事務局長
片山 良行 農林省京都農地事務局計画部長
下川 善之 農林省京都農地事務局名古屋建設所長
宮下 一郎 愛知県農地部長
広瀬 一雄 愛知県農地部耕地課長
伊藤 佐 愛知用水土地改良区理事長
久野 庄太郎 愛知用水土地改良区理事
濱島 辰雄 愛知用水土地改良区技師
亀井 義雄 土地改良新聞主幹
緋田 工 愛知用水新聞編集長 |
413 418 |
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7月5日 |
愛知用水土地改良区第1回総代会開催(愛知県庁)。 |
伊藤佐を理事長に互選。来賓:桑原知事、千葉所長、宮下農地部長、広瀬耕地課長 |
537 |
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8月3日 |
知多農村同志会改組設立総会。知多農村同志会会則施行。 |
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8月31日 |
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浜島辰雄、愛知用水事業の本格推進のため、教師退職。
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10月16日 |
愛知用水大規模農業水利土地改良事業国営施行申請予備審査の結果、適当と判定。 |
県は愛知用水調査費を計上、調査開始。 |
216 502 |
10月6日のものもある。 |
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11月6日 |
世銀近東極東部長ドール来日。 |
世銀近東極東部長ドール(Russel H.Dorr)が日本経済調査団長として来日、デ・ビルデ(de Vilde)、ギルマーチン(Gilmartin)が世銀として初めて現地調査(世銀第1回調査団)。
日本政府によって世銀融資について最初の折衝。
ドール及び米大使館参事官ウェアリング(Frank A. Waring)が、農林省農地局長平川守に対し、外国技術商社の雇用が世銀借款成立の必要条件として、パシフィックコンサルタンツ(P.C.I.:Pacific Consaltants Inc.、米国シカゴ本社、社長:エリック・フロア(Erik Floor)、副社長:平山復二郎)を推薦。
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12月10日 |
世銀副総裁ガーナー来日、農林大臣と会見(愛知用水に外資導入要請)。
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12月16日 |
世銀副総裁ガーナーへ農業関係融資について陳情(石黒忠篤、那須浩、東畑精一、桑原知事、伊藤理事長、森会長、千葉所長)。 |
世銀副総裁ガーナー(Robert L. Garner)が日本経済視察のため来日。農林省農地局は、愛知用水のほか八郎潟・東京湾・浜名湖・長崎の干拓計画を提出して、世銀借款を非公式に要請。 |
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昭和28年
(1953年) |
2月21日 |
三好土地改良区設立認可。 |
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4月1日 |
愛知用水技術援助契約を締結。松野ため池着工。 |
農林省はP.C.I.と愛知用水技術援助(technical service)契約を締結。
可児川防災ため池事業として松野ため池着工(岐阜県営)。
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5月26日 |
米大使館参事官・ウェアリング、来名。 |
関西電力丸山ダム工事現場にて愛知用水計画の説明聴取、名古屋商工会議所は要望書を提出。
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6月5日 |
愛知用水期成促進大会開催。県他へ陳情。 |
愛知用水期成促進大会開催(名古屋市農林会館)。愛知用水着工に関する陳情書・決議を採択。
決議文(『愛知用水新聞』No.18(1953年7月1日)掲載)
愛知用水の実現は、現下経済情勢に鑑み、最も緊急且つ重要なる事業であり、特に関係百万住民の生活に至大なる影響をもたらす産業開発の根本問題であります。
私共は既に幾星霜、待望久しきにわたり、これが実現に努力を傾注して来た処でありますが、今やその機熟し、工事準備は着々と進捗し、着工寸前の段階となりましたが、前途なお幾多の困難な問題が山積しており、これが解決には、特に政治力に俟つところ大なるものがあります。
私共はさらに団結を鞏固にし、打って一丸となり、関係要路に対し、昭和29年度より必ず着工するよう強力に要請し、速かに本事業の完成を期す。
右決議する。
昭和28年6月5日 愛知用水期成促進大会 |
324 |
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10月19日 |
世銀日本支部長・パコ社ルービンス来日( ~10月23日)。愛知用水予定地視察。 |
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11月下旬 |
世銀ドール、日本経済調査のため再来日。
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12月10日 |
世銀副総裁・ガーナー来日。
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世銀借款について日本政府と折衝。 |
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昭和29年
(1954年) |
この年 |
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運動資金を寄付や個人資金でまかなっていた久野が、㈱愛知物産の事業失敗により破産宣告を受ける。 |
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2月1日 |
愛知用水地域面積調査開始。 |
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3月1日 |
新規土地改良事業、愛知用水地区確定認可、3市25町19村。 |
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3月3日のものもある。 |
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3月9日 |
今渡水利組合を解散し、今渡用水土地改良区設立認可。
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4月29日 |
世銀副総裁・ガーナー、駐米大使・井口に伝達方依頼。 |
世銀副総裁・ガーナーは、蔵相・小笠原あての書簡を駐米大使・井口に伝達方依頼。
書簡抜粋
(4)外貨を必要とする計画以外に世銀としては融資することは考えない。
(5)優先考慮事項として、農業生産増加及び石炭鉱業近代化が考えられ、希望があれば、農業生産増加に関して技術者を派遣する用意がある。
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5月29日 |
日本政府、世銀に対し外貨導入申請。
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農業開発、鉄鋼合理化、石炭開発、電源開発、機械設備近代化、高速自動車道路、干拓、工業港建設及び国鉄などにわたる諸産業に対し、所要外貨254百万ドルに達する外貨導入事業計画を作成し、世銀に申請。
愛知用水の所要資金29,456百万円
(うち所要直接外貨1,405.5万ドル(輸入機械及び原油))。
石狩川泥炭開発の所要資金42,998百万円
(うち所要直接外貨1,195万ドル)。 |
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6月8日 |
東海経済懇話会6月例会において、知事が愛知用水計画説明。 |
愛知用水計画促進について協議。 |
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7月16日 |
知多開拓道路建設期成同盟会、結成。 |
会長・森信蔵。 |
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7月19日のものもある。 |
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7月下旬 |
P.C.I.予備設計報告書を農林省へ提出。
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7月29日−8月8日 |
世銀第1回農業調査団来日、現地調査。 |
世銀農業調査団(団長・ドール)来日(世銀第1回農業調査団)、現地調査。
愛知用水計画概要を提出。
愛知用水資金計画 30,810百万円
余農資金:25,750百万円
世銀資金:5,060百万円(1,405.5万ドル)
(余農・世銀借款とも金利5%、20年均等年賦償還)
愛知用水事業費 29,456百万円
(1954年当初の国の一般公共事業費 93,971百万円)
農業:21,735百万円、電気:3,412百万円、水道:4,309百万円 |
486 |
7月18日のものもある。 |
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7月30日 |
東海経済懇話会、要望書提出。 |
東海経済懇話会は世銀ドール来名の際、愛知用水事業の世銀借款成立につき要望書を提出。
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8月18日 |
世銀農業調査団長・ドール帰国。
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8月30日 |
世銀農業調査団後任団長・デフリース来日。
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9月6日−7日 |
世銀調査団視察。 |
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11月12日 |
世銀鉱工業調査団来名。
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世銀鉱工業調査団(リプコウィツ(Samel Lipkowitz)、バーゲル(Alf Bergel))来名。
主な出席者:通産省顧問・井上匡四郎、農林省技術課長・清野、木曽調所長・千葉、愛知県副知事・水野鐘一、愛知県企画室長・松尾、名古屋商工会議所会頭・神野金之助、トヨタ自動車工業株式会社社長・石田退三。
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11月26日 |
P.C.I.愛知用水計画報告書を農林省へ提出。
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昭和30年
(1955年) |
1月1日 |
愛知用水土地改良区理事長・日高啓夫就任。 |
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1月7日 |
世銀副総裁・ガーナー、世銀農業調査団報告書を手交。
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世銀副総裁・ガーナー、世銀農業調査団報告書を駐米大使・井口に手交。
世銀副総裁の書簡
「本調査団の報告書は、また愛知用水、八郎潟、篠津泥炭地及び機械開墾などの諸計画について論及しており、もし、適当な手段がとられるならば、これらの諸計画は全部当銀行の融資の対象となる計画として、具体化される可能性がある。」 |
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2月7日 |
世銀副総裁・ガーナー、愛知用水計画に関するメモランダムを手交。 |
世銀副総裁・ガーナー、愛知用水計画に関するメモランダムを駐米大使・井口に手交。 |
62 |
2月19日のものもある。 |
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2月19日 |
農林省技術課長・清野、渡米。 |
農林省技術課長・清野、世銀借款予備交渉のため渡米。(帰国5月7日) |
62 |
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2月21日 |
農水省農地局長から知事あて通知「愛知用水事業について」。 |
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70 |
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3月28日 |
皇太子来県、用水開発工事の説明(木曽調事務所長)、聴取。
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5月18日 |
P.C.I.愛知用水追加報告書を農林省へ提出。
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5月24日 |
世銀・ドール、農林大臣・河野あて書簡提出、公団法案の国会提案を了解。 |
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6月 |
愛知用水計画の変遷(単位:ha、千m3)。 |
愛知用水計画の変遷(単位:ha、千m3)
1953年3月 1954年3月 1955年6月
補 給 田 18,900 16,451 16,451
開 田 1,700 3,058 269
畑地かんがい 9,600 13,947 16,257
開 畑 1,200 94 94
計 31,400 33,550 33,071
農業用水 163,343 94,000
水道用水 45,000 17,000 17,000
工業用水 28,000 28,000
補給水 計 45,000 208,343 139,000 |
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6月17日 |
愛知用水公団法案、閣議決定。 |
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6月18日 |
P.C.I.エリック・フロアと各省技術者が愛知用水事業計画(牧尾橋ロックフィルダム関係)に関し、討議。
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エリック・フロアは「ダム建設地点の調査というものは、請負業者の仕事であったり、請負業者に任せておくという仕事ではない。米国においては、施主側がコンサルティングエンジニアの勧告によって、目的に一番適した機械を購入し、この機械に長い経験を持つボーリング専門家を擁する会社と契約を結んで、こちらの仕様によって日額で金を支払う」など、これを受けて木曽調でボーリングマシンを購入し地質調査等を実施。
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6月21日 |
愛知用水公団法、国会上程。 |
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6月26日 |
農地局参事官・戸嶋、計画部長・和田、王滝村・三岳村当局と用地補償問題について討議。
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6月30日 |
愛知用水協力会、結成。 |
会長に愛知県知事・桑原幹根就任。 |
180 |
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7月8日 |
愛知用水協力会は愛知用水公団法について陳情。 |
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181 |
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7月22日 |
要望書:愛知用水協力会・東海経済懇話会。 |
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7月28日 |
衆議院農林水産委員会で愛知用水公団法を全会一致で可決。
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7月30日 |
参議院農林水産委員会で愛知用水公団法を全会一致で可決。
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8月6日 |
愛知用水公団法公布(9月27日施行)。 |
愛知用水公団法(法律第141号)公布(1955年9月27日施行)。
愛知用水事業費(国会説明資料)
堰 堤 5,215百万円
幹 線 水 路 9,054百万円
支 線 水 路 4,500百万円
補 助 た め 池 915百万円
開 墾 2,200百万円
小 計(a) 21,884百万円
雑 費 2,500百万円
予 備 費 2,500百万円
小 計(b) 5,000百万円
(a)+(b) 26,884百万円
事 務 費 2,098百万円
計 28,982百万円
発 電 施 設 702百万円
上水道工業用水 2,444百万円
小 計(c) 3,146百万円
合計(a)+(b)+(c) 32,128百万円
(S30当初の国の一般公共事業費 93,672百万円) |
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8月18日のものもある。 |
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8月15日 |
愛知県議会議員有志で愛知用水議員連盟、結成。
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8月29日 |
世銀メモランダム(農業開発事業の今後の作業について)提出。
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9月30日 |
愛知用水公団法第20条第1項の規定による愛知用水事業基本計画概要告示(農林省告示第773号)。 |
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10月3日 |
愛知用水公団設立委員会、開催。
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10月5日 |
愛知用水協力委員会、設置。
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名古屋商工会議所に愛知用水協力委員会設置。委員長・神野金之助。
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10月10日 |
愛知用水公団設立、名古屋に本部を設置。 |
愛知用水公団設立(本所に秘書室、総務部、経理部、用地部、計画部、工務部を設置。東京事務所、堰堤事業所、水路事業所を設置)。
総 裁:濱口雄幸、副総裁:進藤武左ヱ門
理 事:岡田信治、伊藤 佐、中川良吉、原田 傳、櫻井志郎、黒河内 透、鈴木憲三
監 事:黒河内 透、鈴木憲三
秘書室長:本間敏雄、総務部長:富谷彰介、経理部長:坂下 二一、用地部長:藤巻伝之丞
計画部長:千葉 進、計画部次長:白木 稔、工務部部長:小川 孝、工務部次長:森平信一
堰堤事業所長:瀬戸忠武、水路事業所長:吉川安次郎 |
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10月12日 |
愛知用水公団法第20条第1項による愛知用水事業基本計画、農林大臣から公団に指示。 |
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10月15日 |
愛知県知事、愛知用水土地改良区理事長に対し受益者の3分の2以上の同意を要請(同意書調印を依頼)。
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11月5日 |
公団法第18条1項各号の事業実施について、同意書調印の説明会。 |
11月15日〜12月25日。 |
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11月26日 |
商工関係者が愛知用水推進協議会を結成(会長・白石勝彦)。 |
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12月5日 |
農林省が愛知用水特別調査委員会を設置。 |
農林省は愛知用水特別調査委員会を設置し、畑かん、機械開墾の合理的施行の検討。 |
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